N62 イーグレット
JA3251
思い出の写真

 この機体は、伊藤忠航空整備と日大理工学部との共同開発で製造されたものです。
 伊藤忠航空整備は後に、新日本航空整備 (New Japan Aircraft Maintenance Co.) に改名、さらに、株式会社ジャムコ(JAMCO Corporation)と改名して今日に至っています。 今回は、1997年に、各務原(航空宇宙博物館での展示目的)への空輸する直前に、山梨の日本航空学園による特別フライトを紹介します。この時、見学に行った者は、ジャムコのN62の設計、製造及び整備関係者です。
 N62の生産は、コストの問題で5機で終了しましたが、そのノウハウと技術者は、航空機内装品 (ANA B727、737 ギャレー/厨房)の設計に引き継がれていった分けです。 
 参考まで私は、1975年に日大理工学部機械工学科(木村秀政研究室)を卒業後、新日本航空整備に入社し、航空機の内装品設計及び品質管理(16年間)並びに航空機内装品及び機体整備の品質保証(29年間)を担務して、2021年3月に退職しています。

N62 JA3216

 当時の私(加納)です。当時は、本社の品質保証部の在籍していました。

 この機体は、博物館での展示目的で日本航空学園でリストアされて、耐空検査を取得したものです。

 一緒に行った釜形さん、同僚で自転車仲間です。

 当時の日本航空学園の副校長であった野口さん(故人)、大学の先輩で、鳥人間コンテストの解説を行っていました。 当日は、野口さんが N62 を操縦して下さいました。

 見学に行ったメンバーは、懐かしさのため、隅々まで機体を見ています。

 当時の上司である五十嵐さん(ジャムコの品質保証部長)、五十嵐さんは、日大理工学部の日本初人力飛行機(リネット)の設計製造のキャプテンでした。 (プロジェクトX参照) 

 野口さん操縦の離陸です。」

 ローパス

 ランディング

 操縦を終えて戻ってくる野口さん。

 集合写真です。右から3人目が私(加納)です。

Last Update 8/22/2022